当方はチュラロンコン大学国際建築学科にて教鞭をかれこれ6年近く執っている。生徒も可也の数を面倒を見て来た。藤堂見聞録の最終回はこれまで見て来たタイ人の生徒を通じて見えたタイや大学について話したい。先ず、僕が教えて来たタイ人達はいわゆる中流家庭以上の子供達のみである。国際学科なので授業は全て英語。その為、英語が話せる環境で育った家庭の子弟はかなり限られる。更に授業料も大学内で三番目に高い為に入学する為の障壁が高い。一方、その障壁が高い為に倍率が低くなっている。その為に条件が合えば入学はチュラロンコン大学内では楽な方なので生徒のタイプも幅がある。世界スタンダードの建築教育を学びたい勤勉で優秀な生徒達が約一割いる一方、取り合えず大学の卒業証書だけを貰って残り人生を親の家業を継いで遊んで暮らそうと目論む連中がどべで約2割程度いる。残りの7割程度は真剣に学ぶというよりも、チュラロンコン大学の学位が入手出来てかつデザインが学べて楽しそう、本格的に図面を引くよりも建築っぽい色々な体験がしてみたいなぁ、という軽いのりの生徒がマジョリティであり、彼らは卒業後に建築の仕事に従事する事は殆どなく、広い意味でのデザイン業界に進む事が多い。いずれにせよ、彼らは親にスポイルされたお坊ちゃん、お嬢ちゃんなのだ。面白いのが男女比率で4:6、たまに3:7で女子生徒の方が多い。理由としては広く緩く建築デザインを学べる為にタイの女子にこのプログラムが魅力的に見えるらしい。これは圧倒的に男性の多い日本の建築業界とはまったく毛色が異なる。大学は4年制になっており、それぞれの学年には生徒が80人前後いる。その80名の生徒は世界中から集まった教授の研究室に8名前後で配分される。配分される際はある程度生徒の意向に合わせるが、それよりも研究室毎の生徒の成績の平均値が他の研究室と同等になる様に出来ている。これはタイ独特の仕組みに思われるが、建前として「公平」であるという事が大学内では重視されている為だ。カリキュラムとしては1年目は実験的なデザインのアプローチを学び、2年目は小規模な建築設計を学び、3年目に本格的な建築設計を学ぶ、そして4年生になると研究室を選べたり、諸外国に交換留学が出来るようになる。交換留学先は日本が人気だ。明治大学が主に受け皿になってくれている。タイの大学生は制服を着ている様に見える。だが、それぞれの大学には紋章やベルトの様なものは支給されるのだが、肝心の制服は存在しない。その代わりにあるのはドレスコードである。上着は白いシャツで下は黒地の長ズボンか丈の長いスカートに靴を履くというものだ。だが、そのドレスコードさえ守れば後は特注やブランドものを着ても良い。逆にルール内であればなんでもやって良いので髪の色はかなりアグレッシブだ。さながら、日本のアニメを観ている様なカラフルなヘアカラーが面白い。因みにどうでもよい情報だが、タイでは頭が悪い学校程スカートの丈が短いと言われている。そんな国際建築学科なのだが、生徒を教えていると日本と随分違う反応があり面白い。結論から言うと、タイ人生徒に効率よく授業内容を教える為には「楽しませる」事が大切だ。タイ人は上下関係なく楽しい事が好きだ。で、これはとても大切な教える際の要素で、授業が詰まらないと成績が悪い。逆にギャグとか様々な体験型学習があると生徒は飲み込みもよくなり、結果が良くなる。まじめに教えるだけでは結果が出しにくいのだ。タイの大学では生徒を退学にするのが難しい。倍率が低い関係もあり、毎年一学年に数名は退学にした方が、本人、親、教員、学校、タイ国の為になる生徒がいる。だけれども、生徒を落第させる場合は生徒ではなく、責が教員に来る。即ち、教員の教育が駄目だから、生徒が落第したというロジックだ。そういう側面がある事は否めないが、どう考えても生徒の方に問題があるケースが圧倒的に多い。更に、チュラロンコン大学の卒業資格をどうしても生徒とその親は欲しいので退学をするよりかは落第を選ぶケースが多い。タイ社会においてはチュラロンコン大学を卒業しているという事は明るい未来へのパスポートの様に扱われている。その為に比較的倍率の低い我が学科では人生を舐めた連中が頻繁に来るのが心苦しい。当方は基本的に生徒と問題も少なくこれまでやって来たのであるが、たまに問題のある生徒が固まって研究室に入る事がある。それらの生徒は成績が良い内は特になにもしないのであるが、成績が悪くなるとタイ人は陰険な部分が露呈する。彼らは教員に自分たちの成績が悪い原因を直接問いただす事をしない。その代わりに、学部長に色々な理由をつけ足して告げ口をして、それが学長に伝わり、主任に伝わり、最後に教員に伝わる。タイでは問題があると、知らんふりをする、逃げる、または陰湿に復讐をする。山田長政がどのように暗殺されたのか何となく想像がついた…国際建築学科が比較的新しい学科という事もあるのだが、大学の方針に一貫性がない。毎年ルールが変わり、契約内容も変わる。その為、ある程度変化に順応出来る柔軟性が必要だ。そして、こういう重要な事はブラックボックスの中で決まるので、彼らは基本ディスカッションをしないし、ちゃんと説明もしない。これはタイの悪いところで、あらゆる場面で対話がない。建築業界でも個々人が各位好きな事をしているので、タイ建築という全体的な動きは存在しない。何故このような事が起こるのかと言えば、タイ人はかたくなに否定するのだが、上座部仏教の悪影響、というか誤読である。タイの学校では「あなたが自分で考えた事は、自分で悩んで導いた答えなので問題があっても、間違っていないし、謝らなくてよい、顧みなくてよい」と教えるらしい。歴史的な古典と言われる教養書「北斗の拳」に出てくるサウザーの名言「引かぬ、媚びぬ、顧みぬ」を連想してしまった。いずれにせよ、日本人もタイ人もお互いにディスカッションが苦手で悪い意味で似ている。こういう嫌な側面もあるのだが、そればかりではない。タイの生徒は他の国の生徒と比べると色彩感覚が豊かである。日本の建築学生が細い線に淡い水彩画っぽい背景と真っ白な豆腐っぽい建築ばかりを提案する残念な状況を鑑みるにカラフルな作品群を観るのは楽しい。また、グラフィックの能力も高い。東南アジア全体を観ても構図やコントラストの作り方が上手だ。これはタイで培われた壁画に代表されるグラフィック文化と芳醇な自然環境のたまものであろう。また、タイ人の楽しい事好きな感覚に合わせて、一緒に楽しみながら研究室を進めると世界レベルの作品が飛び出る事が多々ある。異なる文化に触れながら教鞭を執っているが、当方が学ぶ事も多くあり、遣り甲斐がある。