まさに青天の霹靂だった。突然、まるで別人になってしまったタイ人夫のDVの前に、一瞬絶望しかけて、すぐさま逃げることにした6年前の年明け。まだ生後4ヵ月の次男のパスポートを取得するためにひとまずバンコクへ。心配しているであろう日本の家族に会うために、そして弱り切った自分のために帰国する。それまでのバンコク滞在。バンコクの右も左もわからなかった私はSNSで知っていただけの人を頼った。色々と相談させてもらうつもりが、その人とご家族は赤の他人であるところの私を家に泊めてくれた。SNSでしか知らなかった人たちもたくさん会いに来てくれた。とにかく逃げること、日本へ行くことだけを考えて飛び出してきたけれど、安全な場所で色んな人たちと話すうちに、ふつふつと湧き上がる感情があった。「帰りたくない。」大変な目に遭ったけど、私はまだタイで暮らしたい。そうこぼすと、私を泊めてくれた人は「タイにいる間に就活をしてみてはどうか」と言った。その提案に何もせずに諦めていた自分に気づく。日本行きのチケットは、片道ではなく往復を買った。そこから私は疾走した。人材紹介会社数社に登録。借りたPCとにらめっこして履歴書やエントリーシートを作成。レスポンスの早かった二社に絞って即面談へ。学歴も職歴もしょぼすぎて手ごたえは最悪だったけど、運良くすぐに一社面接を受けられることになった。バックパックひとつで逃げてきた私は慌ててスーツを買いにタラート(市場)へと走った。パンツとシャツ、借り物の靴。トータル1,000バーツもしない装備と、唯一の武器である「日常会話程度のタイ語」で海外初面接に挑んだ。人材紹介会社の面談も企業面接も、都度子どもは友人が代わるがわる預かってくれた。二次面接を経て内定の連絡をもらったのは就活を初めて一週間ほど経った日のことだった。日本へはほんの10日ほどの一時帰国となり、タイに戻るや否や家を探しメバーン(家政婦)を探し、長男の学校を探してくれる人まで現れ、入国5日後には今の会社で働いていた。たくさんの人に助けられて、たくさんの善意を受け取って今私は大好きなタイで生活できている。なんとかここで子どもたちを育てられていることがうれしい。あの時には想像もできなかった自分。足を一歩踏み出す。必死で手を伸ばす。そうすると、その手を掴んでくれる人がいたり、そこからご縁が生まれたりする。移住する時にも感じたこと。もう忘れないでいたいこと。「ゆるぬりタイランド」全話一覧ページは↑バナーをクリック!➡「ゆるぬりタイランド」次のエピソードはこちら